『おたくさ』

おたくさとは「紫陽花」のこと。長崎市の花です。

精霊流し

2005-08-16-Tue-18:55
お盆の15日。
長崎では、毎年恒例の「精霊流し」が行われます。

さだまさしさんの歌で有名な精霊流しですが、
あの歌のような静かなものではなく、鉦を叩き、爆竹を鳴らし
掛け声をかけて船を引く、かなりにぎやかなものです。

午後3時、わたしが実家から戻り長崎駅に着いた頃には
もう船が出ていて、町中にバンバンという爆竹の音が鳴り響いていました。

お墓では爆竹が鳴り、ロケット花火が打ち上げられ、町中火薬臭い。
お墓参りで爆竹を鳴らすなんて、長崎だけでしょうか?

車道の両端には、火薬の燃えカスや灰が雪のように積もっている。

精霊船は、初盆のおうちが出すもので、担いで運べる小さなものから
大勢で引く2両連結式のものまである。

家紋などを入れた灯篭を先頭に、鉦が続き、そろいの半天を着た引き手が船を引き、喪服を着た遺族が並んで歩く。
爆竹係が時々爆竹を打ち鳴らし、長い距離を歩いてくる人たちは、冷やした飲み物をいれた大きな箱を手押し車で押してくる。

市内の中心部は交通規制され、県庁坂では船の紹介が放送される。

初盆ではない家庭は、この時期売り出される「菰(こも)」を買い、お仏壇の飾りやお供えを包んで「長寿香」と書かれた40cmくらいの長い花火のようなお線香に火をつけて、焼き場まで持って行きます。
昔はこれも川に流していたそうですが、最近はまとめて焼き処分するそうです。

夫の実家から、長崎独特の細い坂と階段の道を通って、海辺の焼き場まで持って行きます。
近づくにつれ、爆竹の騒音でお互いの声も聞こえなくなるほどです。

長崎って、日本なのに日本じゃない。
独特の文化が色々あって、面白いなあと思います。

さて、昨夜の爆竹騒ぎ。
市内のあちこちの道路には、爆竹の残骸がたくさん散らばっていますが、
それも一夜明けると綺麗に清掃されています。
市の職員さんのおかげです。
あれだけのゴミを、あれだけ広範囲にわたって一晩で清掃するのですから、大変だなあと思います。
お疲れ様です。

さあ、また長崎も平常の毎日に戻ります。

8月9日 11時2分

2005-08-09-Tue-11:02
60年前のこの日、この時間。長崎に原爆が投下されました。
この小さな島国に、二度も原爆が落とされたのです。

長崎に引っ越してきて、被爆者のお話を聞く機会が何度かありました。
教科書で習った程度の知識しかなかったわたし。

でも60年経った今でも、長崎の毎日の生活に「原爆」と言う言葉は普通に頻繁に聞かれます。
被爆された方は「原爆手帳」を持っていて、病院の治療の際に提出します。
浦上駅の裏には「原爆病院」という病院があります。

最近聞いたのは、75歳の男性のお話です。
母親と一番下の4歳の弟さんは被爆後間もなく亡くなったそうで、15歳のこの人は、母親と弟の遺体を自分で焼いたそうです。
この時の言葉が「水をくれ、水をくれと言うのですが、ああやって水を飲むとすぐ死ぬんですね」と、淡々と語っておられました。

小学生の妹と弟は、4日後に亡くなったそうです。
この二人は、水を飲むことも食べることもできず、ただ寝かされたまま引き取られた親戚のおうちで亡くなったそうです。

この後、彼は生き残った妹たちのために炊き出しのおにぎりを一つでももらおうと、毎日あちこち歩き回ったそうです。
その距離たるや、今のわたし達はとても歩こうと思わないような距離です。
そうしてある日、大雨が降ったそうです。
ある倉庫の隅で彼が雨宿りをしていると、その裏で大勢の人が遺体を運んでは焼いているのを目撃したそうです。
「今では、そこは家がたくさん建っていますね」と言っていました。

真夏のことですから、遺体をそのままにしておくとすぐ腐敗して、臭いがひどいし病気が流行ったりします。
そこで、大勢の人が来てあちこちで遺体を焼いていたそうです。
浦上川には水を求めて亡くなった大勢の方の遺体がたくさん浮いていましたが、それを引き上げて焼くまで手が回らず、そのうち遺体は全部大雨で流れていったそうです。
「長崎の海の底には、大勢の犠牲者が眠っていると思いますよ」

今でも長崎市内では、宅地造成していたら人骨が出たなどということがあるそうです。
「あの当時はいたる所で遺体を焼いたり、埋めたりしていたし、人骨が見つかっても不思議はないと思う」と言われていました。

もちろん、そういった方々は、どの遺体がどこの誰かもわからず、ただ淡々と「やらなければならない作業」として焼却されていったそうです。
人間が人間扱いを受けない。
それが戦争なのです。

今日もテレビに「わたしの姉は、あの朝女学校に出かけたきり、いまだに帰ってきません」と言う女性が出ていました。
お姉さんは、市内のどこかの土の下か、長崎の海に眠っているのかもしれません。
わたしの生活は、文字通り「犠牲者の方の上にある」のだなあと感じました。

夏休みの1日。市内の学校は登校日で「平和学習」をします。
昼食を取ろうと、ファミレスにいった夫は、店内が学生ばかりで驚いたようです。
みんなにぎやかに笑っていたそうです。
それを聞いて「平和って良いなあ」と思いました。

長崎だけでなく、日本中の、世界中の、戦争の犠牲者に祈りをささげます。
合掌。

「行く」と「来る」(言葉の方向)

2005-08-06-Sat-18:51
生まれてから今まで、西日本あちこちに住んだが
方言とは言わないまでも各地によって色々な言いかたってある。
大阪では、相手のことを「自分」と言う。
自分って普通「わたし」のことだと思うが、話している相手に「自分は〜」と呼びかける。
東京の人が不思議がっていた。

結婚して長崎に来て3年。
ちょっと慣れない言葉がある。

夫は仕事が終わるとメールをくれる。
「今から帰ってきます」
???
この場合、「家に帰るよ」の意味だから「きます」っておかしくない?
家に居るのはわたし。わたしが「きます」と言うのはわかるけど
外から家に帰る人が「きます」って変じゃない?

電話がかかってきて「今から来るけん」と言われると
それは「今から家に行きますよ」と言う意味だ。

「行く」ことを「来る」と言うのだ。
いまだに慣れない。

先日夫と、待ち合わせの話をしていた。
お互いに職場から帰りに中間地点で落ち合おうかと話している途中で
夫が
「迎えに来てもいいけど」と言った。

さあ、この場合、迎えに「来る」のは、夫?それともわたし?
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